今だから話せる、僕の情けない就職活動の話①

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こんにちは、masapiroです。

最近ニュースを見ていると、景気のいい話がよく聞こえてきます。

「日経平均株価バブル後最高値」「訪日外国人客が過去最高」「企業業績が過去最高水準」

そして「大卒就職内定率過去最高」。10月1日時点での大卒就職内定率が75.2%と過去最高を記録したそうです。

テレビで「内定二けた」とか言ってる学生を見ると、自分のダメダメな就職活動が否応なしに思いだされます。

 

今回は、そんな僕の情けない就職活動の話を書いてみたいと思います。

教訓めいたものは何もないです。軽い読み物として読んでもらえればと思います。

 

時は2003年

僕が就職活動をしていたのは2003年。

当時は現在とは状況が全く逆で「就職氷河期」とも言われる時代でした。

りそな銀行の経営危機や小泉政権の「痛みを伴う改革」などの余波を受け、就活戦線は学生にとって芳しいものではありませんでした。

 

就活やる気が起きない僕

そんな状況なので、みんな3年生の12月ころから徐々に動きだして情報を集め出していたようです。

僕はと言えば、みんなが先輩などに会いに行き情報を集める中、やる気も起こらず、まったく何もしていませんでした。

リクナビには登録していたものの、説明会に行くでもなく、エントリーシート(ES)を書くでもなく、ただそれまでと変わらない大学生活を淡々と続けていました。

本気で動き出したのは2月末か3月頃になってから。その頃には既に選考が進んでる人もいました。

 

非通知電話に出ずチャンスを逃す

僕は就活の情報も全く集めておらず、裸一貫状態で就活戦線の最前線に降り立ってしまいました。

そのため、様々なミスを繰り返すことになります。

 

最初が、「非通知の電話」。

当時は3年生の1,2月ころになると、突然非通知で携帯に電話が掛かってくるようになりました。

夜にかかって来ることが多かったのですが、夜はほぼ毎日バイトをしていたため、出ることができません。

バイトが無い時でも怪しい電話だと思って無視し続けていました。

 

ところがある日、大学の友人達との昼食時にある話題になります。

「リクルーターから電話きてる?」

みんな「きてる」と答える。「..ん」

「えっ、俺きてない」と言うと、「嘘だ~、非通知で電話着てるでしょ」と言われて初めて無視していた電話がリクルーターからのものであったことを知りました。

そして、みんな既にリクルーターと面談していること、また、その面談が事実上の選考であることも知りました。

「あの電話出ないと、その時点でダメってリクルーターの人が言ってたよ。だからみんなバイト中でも電話出てるよ。」

何も知らない僕は既に大幅な遅れをとってしまっていたことに気が付くのです。

(電話に出ないとその時点でダメだということは実際には無いと思うんですが、真相はわかりません。)

 

書けないエントリーシート

そろそろ頑張らないといけないと自覚した僕は、真面目に就活に取組み始めます。

しかし、すぐに壁にぶち当たります。

エントリーシートです。

 

僕は学校の勉強はそこそこ真面目に受講していましたが、それ以外に書くことがありません。

サークルは1年の時に、テニスサークルに入ったものの、ノリと雰囲気について行けず、欠席を繰り返したため除名となっていました。

学外でも特に何かするでもなく、書けるのは飲食店でのバイトくらい。

バイトと言っても、リーダーとして何人もをまとめ上げたでもなく、特別な技能もあるわけでもなく、「頑張りました」としか書けないような状態です。

仕方がないので、経歴を「詐称」することにします。

バイトはリーダーとして10人をまとめ上げたことに、サークルは卓球サークルを立ち上げ幹部として活動したことに、自分の経歴を書き換えることにしました。

結果的にこれがさらなる悲劇を生むことになるのですが。



手当たり次第にエントリー

リクルーターの誘いを事実上蹴ってしまった僕は、そこから手当たり次第にエントリーシートを送り始めます。

手当たり次第と言っても業界は大まかですが決めていました。

志望したのはBtoBのメーカーです。

 

僕は経済学系の学部だったので同期は金融関係志望が多かったのですが、僕は金融関係の仕事に当時全く興味を抱けませんでした。

興味を持っていたのはBtoB(特に素材系)のメーカーです。

興味を持った理由は、素材系業界は当時から日本企業が強みをもつ業界で、「幅広い業界や世界を相手に活躍できる」と思ったからです(何か面接の受け答えみたいになってきたな)。

 

当時、サッカーの中田英寿がヨーロッパで活躍していて、「世界を目指す」ことがスタンダードになりつつありました。

あろうことか僕は、イタリアに渡るときには既にイタリア語で挨拶ができるようになっていたヒデと、就活に向けて何も準備していなかった自分とを勝手に重ね合わせてしまい、「自分も世界を目指す」と急に強気になってしまっていたのです。

そうして勝手な夢を描きながら、化学メーカーや半導体材料メーカー、非鉄金属メーカーなどにエントリーを開始してようやく僕の就職活動が始まることになりました。

 

次回に続く